21「考えよう」って?

【20「深い学び」って?】に続いて。

「○○について考えてみよう」、「考えた結果を発表しよう」、「このことについてもう少し考えてみよう」と指示しながら、「主体的・対話的な学び」になるよう先生が授業を進めていく場面に出会います。このように「考えよう」と指示されたとき、子ども達はどうしているのでしょうか。きっと、「考えよう」と指示されても何をして良いか分からない子どももいることと思います。もしそうであるならば、「考えるということは何をすることか、どのように頭を働かせることなのか」など「考える」という技術・技能を身につけさせることが必要です。このことが新学習指導要領で話題になる「主体的・対話的で深い学び」の「深い学び」に繋がっていくと思います。

「考える」ということは、「課題に対して、今まで得た様々な知識や経験を組み合わせて(つなげて)答えを導き出す行為」ということになるのでしょうが、とかく、持っている知識から当てはまるものを探すという「知識の探索」になり勝ちです。まさに「考えるふり」ですね。

私は、「考える」という作業では、探索ではなく「知識の選択」を重視すべきと思います。持っている知識の中から当てはめるべきものは何かという選択です。そしてその選択には、類似性や相違点、特徴、今までの経験、俯瞰的に捉えた背景や本質、流れなどが重要な判断要素として関わってきます。これらの判断要素を駆使して「知識の選択」をすることが「考える」ということだと思っています。そして、新学習指導要領での「主体的・対話的で深い学び」では、この「考える技術」を身につけることを意識した「深い学び」を実現して欲しい願っています。

20「深い学び」って?

来年度から全面実施の新学習指導要領の説明として「主体的・対話的で深い学び」がよく登場します。今回の羽島市議会一般質問でも何回か登場しました。このフレーズの中の「主体的」と「対話的」は比較的分かりやすく、その授業イメージも思い浮かべやすいです。しかし、「深い学び」とは何を指すのでしょうか。「深い学び」を実現できるのはどのような授業なのでしょうか。先生が10人いれば10個の異なる答えが出てきそうです。どうも、授業改善が分かりやすい「主体的・対話的」に向かっていて、分かりにくい「深い学び」にはあまり向かっていないような気がして心配です。「深い学び」の実現こそが新学習指導要領のポイントのような気がする私としては、とても残念です。文部科学省所管の教職員支援機構HPに、「主体的・対話的で深い学び」、特に「深い学び」を実現する授業に関する20分間の動画があったので御紹介します。ところで、一般的には、「深い学び」は「知識・技能を相互に関連づけて考える学び」と説明されることが多いです。

「主体的・対話的で深い学び」研修動画(文科省教職員支援機構へリンク)

「主体的・対話的で深い学び」研修レジメ(PDFファイル)

9 公教育の課題

このホームページの「岐阜県の子ども貧困率と学習状況」(5/15)で、「義務教育の大きな役割の一つに、育つ環境の違いが将来へ与える影響を可能な限り小さくするために、自らの可能性を伸ばす機会をすべての子ども達に等しく提供することがある」と書きました。

「ロボットは東大に入れるかプロジェクト」を推進していらっしゃった国立情報学研究所の新井紀子氏が、そのプロジェクト等で得た知見として次のようなことを指摘されています。

  • AIは意味は理解できない。正しさは保証できない。(ただし、大規模データと深層学習用いると、よく「当たる」こともある。)
  • なぜ、意味がわかるはずの高校生が意味がわからないAIに敗れるのか
  • AIにできないことこそ、生徒もできなかった
  • 教科書が読めない ⇒ 予習も復習もできない、自分ひとりでは勉強できない、貧困下でも塾に通わなければならない ⇒ 勉強の仕方がわからない、AIに職を奪われる・新しい職種に移動できない ⇒ 労働力不足なのに失業や非正規雇用が増大 ⇒ 格差拡大、内需低下、人口がさらに減少
  • 中学を卒業するまでに、中学校の教科書を読めるようにすることこそが公教育の最重要課題

「読み書きそろばん」が学力の基本だと言われることがありますが、「文章を読んで内容を理解できる(読解力)」ことと「何かを創り出すことができる(創造力)」ことが、今の子ども達の未来では「読み書きそろばん」以上に重要になるのかもしれません。