南谷清司の略歴
1955年10月 羽島市小熊町東小熊に生まれる
小熊小、羽島中、岐阜高校、京都大学工学部卒業
1978年4月 岐阜県公立高等学校教員に採用(数学、関高、郡上高、加納高)
1993年4月 県教委勤務へ(県庁で教職員課、学校政策課)
2006年4月 高校の校長へ(中津川工業高、関商工高、多治見北高)
2011年4月 県教委勤務へ(県庁で学校支援課長、総合教育センター長、教育次長)
2016年3月 60歳になり定年退職
2016年4月 岐阜高校の校長(任期付採用)へ
2019年4月 羽島市議会議員に初当選(現在2期目)
2021年5月 岐阜県水泳連盟 副会長
座右の銘
- 百折不撓・自彊不息
- 「ひゃくせつふとう」とは幾度失敗しても志をまげないこと、「じきょうふそく」とは自ら努め励んでやまないこと
- 創立150年の伝統を誇る母校の校訓。 この校訓に支えられて、困ったとき、苦しいときを仲間とともに乗り越えてきました。
趣味
- 平成24年「ぎふ清流国体・大会 水泳競技会」に公認競技役員(記録担当)として参加し、世界新記録(山口君の男子200m平泳ぎ)を国際水泳連盟へ公認申請する英文書類作成も手伝いました。現在は岐阜県水泳連盟の副会長として水泳界発展に努めています。
- 高校教員時にバレーボール部顧問だった経験から、小熊町で6人制ソフトバレーボールに参加しチームのお世話役を務めていました。4人制にも参加し、県体育大会や県民スポーツ大会へ出場していました。
今もそのチームで週1回楽しませてもらっています。 - 小熊町「遊歩の会」でトレッキングやハイキングを楽しんでいます。
- 通産省情報処理技術者国家資格を所持。パソコンを活用。このホームページも自分で作成。
- 自宅の畑で孫の笑顔を楽しみに野菜作り。
家族
- 羽島市小熊町東小熊の自宅で、妻、長男夫婦、孫3人の3世代同居7人家族。
- 長女夫妻と孫3人は竹鼻町、次女夫妻と孫4人は御嵩町在住。
南谷清司のこれまでの歩みを詳しく
昭和30年(1955年)10月 羽島市小熊町東小熊に生まれる
- 羽島市立小熊小、羽島中(軟式テニス部所属)を卒業。
15歳の4月~(昭和46年(1971年)4月~ 岐阜高校)
- 岐阜高校へ入学。水泳部へ入部。3年生では部長。3年生の夏休みが終わるまで部活動を頑張る。
- 1年生は男子クラス、2年生は男女クラスで修学旅行へ、3年生は男子クラスで受験勉強という、岐阜高ゴールデンルート。
18歳の4月~(昭和49年(1974年)4月~ 京都大学工学部)
- 憧れの京都、夢に見た京都大学時計台、高校3年間の努力が報われ青春を謳歌。
- 卒論で研究の厳しさを嫌というほど教えられた大学4年生の1年間。卒論提出後も学会発表のための実験に明け暮れていたら、知らない内に卒業式が終了。さすがにショックだった。
- 高校数学、中学数学の教員免許状を取得。教授の「大学に残らないか」との誘いを断りふるさとの高校教員へ。「なぜ先生なんかに」と教授に言われ悲しかった。
22歳の4月~(昭和53年(1978年)4月~ 関高・郡上高・加納高)
- 県立高校の数学教員に合格し採用。
- 関高では水泳部顧問。県高校総体で総合3位になり生徒はインターハイへ出場。
- 郡上高では陸上部顧問。野球部長として夏の甲子園県予選大会でTVに映る。
- 加納高には10年間勤務。3年生担任を5回、水泳部とバレー部の顧問。水泳部はリレーが8年連続で東海大会出場。
- これら3校では、教務と進路指導、受験指導を特に頑張る。
- この時の教え子達が選挙を手伝ってくれました。感謝。
- 昭和63年に通商産業省の国家資格「第二種情報処理技術者試験」に合格。
37歳の4月~(平成5年(1993年)4月~ 県教委教職員課)
- 県立の高校や特別支援学校の先生方の採用退職や勤務条件、県立学校の管理運営、危機管理、国の会計検査などを担当。
- 人事異動と勤務記録管理のコンピュータ化を担当。全国的にも優れたシステムとして自画自賛。現在も後輩達が使用。
- 月200時間以上の時間外勤務を2ヶ月間続けたこともあった。県教委勤務で時間的に一番厳しかった時期。
- 平成6年に筑波市で2週間にわたって文部省主催教職員人事管理研修講座を受講。全国の同業者と交流すると共に、法令の構成、解釈、運用などの演習の繰り返しにより、法令について深く学びました。その後の行政事務遂行の基礎基本となりました。
- 消防団小熊分団で選手として市操法大会へ出場。県大会出場ならず。
- 小熊スポーツ少年団運営委員長。小熊町の小学生が野球と卓球に親しめるよう努力しました。
- 羽島中学校部活動育成会会長。羽島中の部活動のサポートをしました。
- 2000年岐阜インターハイで水泳競技の電気計時・情報処理関係公式競技役員として頑張りました。
45歳の4月~(平成13年(2001年)4月~ 県教委学校政策課)
- 生徒指導と高校入試と学校改革を担当。
- 県立高校を統廃合するとともにその活性化を目指す「生徒いきいきプラン」を策定し実施。
- 県内全域を訪問し、要望を聞き取るとともプランについて該当の市町村長や教育長、中学生の保護者、中学校長へ説明。
- 地元から高校が無くなる地域で、100人以上の地元の方々と1問1答形式での説明会も実施。コーディネーターの国立大学教授から「あなたは高校を卒業しているのですか?」と問われたのは残念だった。
- 県教委勤務で精神的に一番苦しかった時期。
50歳の4月~(平成18年(2006年)4月~ 中津川工業高の校長)
- 工業高校で、ものづくりの知識や技術を学ぶ生徒に囲まれ、学びの環境を少しでも良くするために努力。
- 大学の工学部で学んだ私にとっては、懐かしい雰囲気の嬉しい職場。
51歳の4月~(平成19年(2007年)4月~ 関商工高の校長)
- 商業と工業を学ぶだけではなく、部活動も活発な関市が誇る市立高校で、工業に加えて商業の奥深さも経験。
- 県内だけでなく全国大会へも出かけ、部活動を頑張る生徒たちを応援。
- 関商工専用野球場を整備し、その時に入学した生徒たちが夏の甲子園出場を果たしたことはとても嬉しい出来事。
53歳の4月~(平成21年(2009年)4月~ 多治見北高の校長)
- 東濃地区を代表する進学校で、地域の期待に応えるために今までの経験をすべて注ぎ込み全精力を傾けた2年間。その結果、地域の方々に信頼される高校となり、多くの方に喜んでもらえ、校長冥利に尽きる2年間に。
55歳の4月~(平成23年(2011年)4月~ 県教委学校支援課長)
- 県庁11階へ呼び戻されてしまい、学校現場と泣く泣くお別れ。
- 担当範囲はとても広く、公立の幼稚園・小学校・中学校・高校の、学習指導・生徒指導・教育相談・進路指導、特別活動、さらには道徳や人権、工農家商の産業教育、そしてミスが絶対に許されない高校入試など、児童生徒に直接関わることは体育・健康・給食以外のほとんどすべてを担当。
- 特に、危機管理・危機対応では多くの事案を経験。テレビカメラの前で謝罪会見をしたことも。
- 教育について一番深く考え悩み、目指す方向が定まった時期。
- この時の同僚が、県教委や市町村教委の指導的立場で活躍中。
- 平成23年に文部科学省「教育課題研修指導者海外派遣プログラムA-3団」の副団長として、イギリス・ロンドンを中心に「学校評価と学校改善」について視察、調査研究。階級社会の現実を知る。学校間格差も大きく、その差を埋めるための学校評価や改善の取組を視察。県教委の施策立案にあたって大変参考になった。同行した全国の教員とも情報交換。
56歳の4月~(平成24年(2012年)4月~ 県教委総合教育センター長)
- 県庁隣の岐阜県総合教育センターで教員の資質向上のための研修を担当。
- 県内学校全体の情報機器や情報ネットワークの整備も担当。
- 教員研修の講師として招いた方々のお話はとても有意義。
- ぎふ清流国体・ぎふ清流大会では水泳の記録担当公式競技役員として皆勤。世界新記録樹立に立ち会えたのは幸せ。あの時のスタンドの風景と感動は未だ忘れられない。世界新記録公認をFINA(国際水泳連盟)へ通知する英文の申請書作成に従事したのも想い出。 (187 岐阜県水泳連盟の副会長へ)
57歳の4月~(平成25年(2013年)4月~ 県教委教育次長)
- 元大学教授の県教育長を補佐し岐阜県の教育の発展充実のため努力。
- 県議会の本会議や常任委員会にも教育長と一緒に出席。その時の経験が市議会議員となった今役立っている。
- 担当は、高校教育、文化、スポーツ、人事、危機管理と教育全般に及び、毎日勉強と決断の繰り返し。心安まるときがない3年間。
- 教員として学校に戻ることなく、県部長級事務職員として定年退職。
60歳の4月~(平成28年(2016年)4月~ 岐阜高の校長)
- 定年退職後、全国でも珍しい任期付採用で岐阜高校の校長に就任。
- 140年ほどの歴史を誇る県内トップ進学校ということで、とてもプレッシャーを感じ緊張して学校へ向かったことを思い出します。
- 「活躍の舞台は世界、ライバルは全国」を生徒や先生方にしっかり認識してもらうため、母校京都大学の総長を始め世界や全国で活躍する方々を招いての講演会を開催。
- 「科学の甲子園」で全国の進学校を破って全国優勝してくれたことはとても嬉しいこと。
- 岐阜高校ホームページも、自分で見やすく編集しやすいものへ改修。
- 重責に押しつぶされそうになりながらも、母校で後輩を育てながら教員生活の最後を締めくくれたことは大きな幸せ。
62歳の4月~(平成30年(2018年)4月~ 東海職業能力開発大学校)
- ものづくり技術者養成の学校である東海職業能力開発大学校で統括マネージャーとして学校運営や広報を担当。
- ものづくりが好きなことを再認識。
- 1年間で退職し申し訳ありませんでした。
63歳4月~(平成31(令和元)年(2019年)4月~ 羽島市議会議員)
- 羽島市議会議員 初当選
- 1年目 民生文教委員会 副委員長
- 2年目 産業建設委員会 委員長
- 3年目 広報広聴委員会 委員長 議会運営委員会 副委員長
- 4年目 総務委員会 委員長
- 令和5年(2023年)4月 羽島市議会議員選挙 2回目の当選(2期目へ)
- 5年目 議会改革特別委員会 委員長 民生文教委員会 副委員長 予算決算特別委員会 副委員長
- 6年目 総務委員会 委員長
65歳5月~(令和2年(2021年)5月~ 岐阜県水泳連盟副会長)
- 岐阜県水泳連盟の副会長として、お世話になった岐阜県水泳界の発展充実に力を尽くしています。
( 「187 岐阜県水泳連盟副会長へ」をご参照ください。)